
おはようございます。
朝方5時くらいまで電話していて、いま8時起床で十勝スティックパンをかじりながらキーボードを打ち込んでいます笑
朝おきてあるyoutuberの動画をみたら「死刑がありか?なしか?」という話題で動画が上がっていました。
1人の方は「犯罪行為●●=死刑」と決めるべきという回答でこれは、どんどん裁くことで犯罪は抑制される
という回答
もう一人は「死ぬで終わると思うなよ」という考え方で拷問、生き地獄こそ裁きだ
という回答でした。
詳しくはここに張り付けるので、見てください
僕の視点からも書いてみたいなと思ったので、書いていきます。
結論から言うと「殺さざるを得ない状況に追いやられた人が生まれ変わるために一度消されるしかない」という感じです。
死刑によって犯罪者が生きるか死ぬかよりも、「世間や人が死刑にするほどの犯罪者を育てた」ということを認識して、ひとりひとりが自分事のようにとらえないと、一時的な消火器としての死刑(事務作業)は繰り返していくでしょう。
無人島では犯罪者、死刑者は出ない
どんなに極悪な犯罪者であっても、無人島で生まれたら、犯罪のしようがないですし、でも一番強い生存欲求を守るために、その無人島でいきるための術を習得し、生活していくはずです。
ということは、犯罪者は「誰からか作られた」ということになります。
そして、犯罪者に「作り上げた人や環境」は、結局人が作っています。
気温が熱いから、雨がたくさん降るから、という理由で犯罪者は育成されません。
死刑においやられた死刑囚
死刑というものは「改善の余地のなく救いようがない」ものであるか「あまりにも極悪非道な行為」によって下されるわけですが、その脳みそを作ったのは誰でしょうか?
もちろん、生まれつき障害があるかもしれません。
しかし、基本的に「外部への攻撃」は以下のような感情から起こるものです。
□極度な孤独
□暴力を受けた
□多方向からの圧に対する反発
□喪失感
□恨み
□裏切り
□気持ちを踏むにじられる
□奪われる
これを一言でいうと「愛」不足です。
逆に生まれた時から「愛」を受けていたとしたら・・・いや、生まれるきっかけが愛だとしたら・・・・それは「死刑囚を生み出す子」の種にはならないはずです。
こういう子に対して「愛」を扱うことによる幸福度を親が教えることができたとしたら、子供は絶対に「死刑囚にはならない」と僕は思います。
つまり、死刑囚の数=世の中の愛の循環の悪さの指標
→僕らのせい
ということです。
しかし、僕がこういう風に書いても「いやいや変な奴は変だぜ。殺すしかないだろ」という人がいるから「殺すしかない人」が生まれるんです。
人殺しの感情が生み出されるフロー
たしかに世の中には「殺すしかないような救いようがない人」がすでにいます。
そして、面白い概念を紹介します。
10人の人のうち8人親切な人がいたといても、2人おかしな人がいると、その2人は残り8人の親切な心を奪い、ゾンビのように親切な心を浸食していくのです。
たくさんのミカンが入ったミカン箱に腐ったみかん1つ入れるだけでカビが浸食していくあの感じです。
なので、この事態は「短期的には解決できません」
いくら親切な人が多数派だとしても、奪う人が1,2人いるだけで、奪われた1、2人も残りの親切を奪う人になってしまうということです。
そうして「奪う、奪われる」という空間が出来上がっていきます。
そこに対して、さらに感情の乱れが加速するように以下のようになっていきます。
奪う人→さらに奪いたいけど、足りない(欲の拡張+パーキンソンの法則)=攻撃力は拡散(増えていく)
与えてた人→与えることがばかばかしくなりガードを固め、守り始める
つまり、攻撃力がアップしていく戦士が、ガードを上げたタイプの攻め込むには武器を使おうという心理が働き、結果として殺してしまうということです。
お金のガードだけではありません。 恋愛でもそうです。
攻めたい気持ちは膨らみ、でもガードは上がっていく・・・・
奪う人が生まれるまでのフロー
奪う人というのを文字でかきあらわすと、【自己の「欲」を制御することができない】ということです。
根本的に自分の強い欲の誕生は「ぽっかり欠落した穴をうめるためのもの」であるため、
過去にトラウマを持っている場合がほどんどです。
小さい時に、保育園に放り出されて親は振り返らずどこかに行ってしまう
小さい時に暴力にあった
小さい時にいじめられた(奪う人からの攻撃)
小さい時、良心的なことをしたのに、喜ばれなかった
小さい時に、誰からも相手にされてもらえなかった
小さい時に、親がひどい喧嘩をしていた
小さい時に、もの心ついたら親がいなかった
いろいろ上げればまだ出るかと思いますが、こういうことがあるはずです。
これによって愛情が欠落し、人を憎み、奪いたくなるような思考が刻まれてしまうのです。
自分の持っていないものを奪いさえすれば、自分もちゃんとした人間になれると信じてしまっている状況です。
反対に、与える人間は「いろいろされてきたことに対して満足感を覚えているため」、人にもこの「満足感」をシェアしたいと思っています。
しかし、この「欠落者」の穴を埋めようと、与え手が「シェア」を始めたとします。
欠落者は穴をできるだけ大きく塞ぎたい。もう穴を感じたくない。という恐怖心、執着の心から、与え手から「無限に受け取ろう」とします。
結果として、与え手も「穴」となり、ガードが固くなるか、奪う人へと変貌していくということです。
しかし、ただ言えることは、最終的に「穴」を求める人はいないので「節度ある与え手」にすべては流れ込んでいるということは、間違いないでしょう。
すべての問題の根源
では、そもそもこの「欠落」というものは、どこからめぐってきているかというと、大昔からめぐってきています。
そのことを説明していきます。
しっかり話せば歴史の話も出して長くなるのですが、ここでは簡単に話をします。
「愛を持たない我欲」がすべての問題を生み出している
ということです。
愛を持たない我欲というのは、ずばり「性欲」です。
短期的に気持ちよくなりたいという人間の「性的欲」の本能が「愛を信じる欲」を上回るっている限り、この連鎖は途絶えることはないでしょう。
短期的に気持ちよくなりたいという人間の「性的欲」の本能 >> 「愛を信じる欲」
子供も我欲でできたわけなので、この手のタイプの人間は、子供を育てるということさえも他人(ガキ)の面倒を見ないといけないのかよ・・それよりも自分の他の欲を満たしたいのに・・と子供に愛を注げないわけです。
「愛を持たずしてできたものに対して愛は注げない」
しかも、怖いことに世の中は、生活を豊かにするものを作り終えた後に、愛を教えるのではなく短期的に満足することを正解だと教え始めました。
この結果、さらに「愛を信じる欲」よりも「短期的な欲」を追いやすい思考を育ててしまったのです。
なので、まだあと数十年は、この摂理に反することによる「不正解」を感じるための期間であるので、まだ犯罪者は増えていくはずです。
(おそらく戦争でぶち壊すしか未来は救えないと考えている人もいる)
そういった意味でも、死刑囚の増加と被害者の数の増加は「世の中へのメッセージ」として受け止めるべきであり、単に問題児は「殺せよ」という言葉をしゃべっていても何の解決にもならないということです。
ということは、今この瞬間から歯を食いしばって「愛」をくばっていく勇気をどれだけの人が持てるか?が未来を変えていくでしょう。
しかし、もう世の中は奪う人、ガードが上がっている人、短期的欲で飢えている人・・・・いや・・・・ゾンビであふれかえってしまっているのかもしれません。
爆弾で処理しないとどうしようもないな・・という大衆から抜ける勇気を持つことが、これからの真のリーダーとしての気質となるでしょう。
死刑がありかなしか?ということよりも、
あなたは愛を信じますか?という1つの質問からこの問題を長期的に改善していくしかないでしょう。
少なくとも、自分の関わる人(子供)が死刑囚とならないように・・・・
まずはコンビニのレジ員に喜んでもらえるような受け取り方をしてみてください。
死刑囚、被害者の2つを生み出す【真の犯罪者】になってしまうかもしれませんよ
物騒な世の中ね・・・・ではなく、せめて身の回りにはそういう種を育てないという覚悟をきめること。
いまこの瞬間、その場の空間から見える景色は広がっていきます。