「成績を収める」ということを検索すると、成績を収めるなのか修めるなのかどっちですか?

と上位表示されます。

そんなのどっちでもよく「成績」とは何なのか?のほうが大切と言えます。

「成績を収める」というゴールのような概念でいると、物事はつまらなくなるという説明をしていきたいとおもいます。

成績は収めなくていい

本来、成績を収めるというのは、ベルトをつける、バッジをつけるのようなものです。

格闘技の選手が成績を収めた結果、ベルトをまいたとしましょう。

「強い選手」という成績を収めました。

この選手が成績を収めたし、ダラダラ過ごしすか!と言い出して何もしなくなったとします。

すると、ベルトは奪われてしまい、成績を収めたことは過去の栄光、過去の記憶でしかなくなります。

成績を収めるということはゴールではなく過程として捉えないことには、行動に影響が出てしまうのです。

 

戦うのが嫌になったという問題を目の前に出し、でも活躍したいというのならば、強かった選手で止めるのではなく、強くなりたい人に強くなる方法を話すという次の成績を追うと、次の成績を上げることができるということです。

学校教育の成績

学校では通知表があると思います。

その成績を見て、「よし!」と思ったり「あちゃー」と思ったりした経験はあるはずです。

しかし、その時の「よし!」「あちゃー」の出来事を覚えている大人はいるでしょうか?

なんか1から5の数字があったような

いや。。可、良、優

ん?

くらいしか覚えていないはずです。

つまり成績は収まってないので、収めなくていいのです。

あなたが学生ならば通知表ごときであなたの真の価値は測れないから安心していいということは断言します。

真の成績は問題点と現状との差の埋め合わせた分で考える

「成績を収めた」といった時点で、衰退が始まります。

成績はあくまで、現在の問題点が未来どれだけ縮まったか?という指標でしかありません。

過去に数学を100点取った!成績を収めたんだ!と、言っている人が、部屋が散らかっていて部屋の掃除をしないで部屋が汚いと言っているのだとしたら、今の成績は0点です。

問題 「成績」の定義を答えなさい

学校教育で一番最初に、やらないといけないことは、成績の定義の勉強です。

そして学校は、問題をどう埋めるか?の練習であるということを言わないといけないはずです。

それは、勉強という試験的な問題だけではなく、人を殴って問題が発生し、それをどう埋めるか?も勉強です。

夜中遊んで警察に補導されるのも問題解決にあたっての勉強です。

人に迷惑をかけることも勉強です。

それなのに、いい子に勉強だけしておけ。という親や大人はどれほど日々成績を収めているか聞いてみたいところです。

人に迷惑をかけてはいけないではなく、人は迷惑をかけ合いながら成長し、生きていると思ったほうが楽なのかなと思います。

成績は問題から生まれる

成績というのは、問題があるから生まれてきます。

つまり、問題への直視力が試されるのです。

しかし、今の世の中、問題を直視する前に横でネオンをキラキラさせて問題を直視させることを妨げます。

問題を問題と認識する前に逃げ道に執着できてしまうのが、便利というもののデメリットと言えるでしょう。

問題と同時に試験が始まり成績が上がり続ける

問題が出た瞬間に成績も出るのです。

部屋が散らかる

部屋が片付く

インテリアで部屋をコーディネート

記録する

発信する

インテリア雑貨を紹介する

売れる

売れたお金で部屋を再コーディネート

また紹介する

売れる

部屋掃除のコツを発信する

ファンが増える

、、、

、、、

このように問題が発生した時点で、誰か自分以外の誰かの問題にもなり得るので、試験をクリアし、成績を上げることで、教えてもらいたい人はいくらでも出来てしまうのです。

部屋が散らかる

諦めてカップラーメンを食べてYouTubeをみる

のように便利であるカップラーメンや、YouTubeに逃げると成績はそこで止まるということになります。

 

問題が出る

問題を解決する

の規模感を拡張させていくことがコツと言えるでしょう。

一人の解決は、他の誰かの解決…

誰かの解決は地域の解決…

地域の解決は社会の解決…

地域の解決は国の解決…

国の解決は地球の解決…

地球の解決は一人の解決…

やまびこのように、戻ってくるということです。

まとめ

このように、成績というものは収めるものでも、ゴールでもありません。

成績は収めるではなく、ばら撒くのです。

問題を超えていくことが成績となることを意識して、問題は何か?を常に目の前に出す癖をつけるだけでも成績は上がり始めるでしょう。

プライベートな時間について

プライベート、オフの時間は、論理で話すとか、問題を目の前に出すのではなく、夢を語る時間とか、馬鹿話とか、理想論を話したりして、論理とか問題への直視とか堅苦しい時間とのバランスを取ればいいのかなと思います。

起きることと眠ること二つあるのが人生なのです。

夢なら永遠と見ることができますが、現実はそんなに見続けることはできないことでしょう。

しかし、現実を見る時間を濃くすればするほど、深い夢に落ちることができるのではないでしょうか。

脱奴隷

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