
おはようございます。
「セールス」と聞いて、どのようなイメージがありますか?
おそらく殆どの人は、「いやらしい」「不快」「こわい」のようなネガティブな発言をするかと思います。
一方、僕としては、とことんセールスをしないといけないと思っています。
もちろん僕に対してもどんどんセールスをしてくれと思っています。
この理由についてはっきりと書いていきます。
セールスの場数は成長の数
まずはありきたりな話からです。
セールスをするということは、未来「こうなりたい」に向かうためのコミットメントに対して発生するものだと思います。
つまり事業者とお客は同じビジョンが重なるようになるはずなのです。
同じ方向に向かって結果を追うわけなので、本来そこにナーナーな要素は出てくるはずがありません。
金銭的なやり取りが発生した時点で、本当にそこに向かうという気がしっかりと府に落ちたという証になるはずなのです。
ナーナーな時間は死んでいる
※このあたりから切り込んでいきます。
自分磨きやスキル磨きをするにあたってナーナーな時間というのは死んでいる時間です。
ここまではっきり言わないと結局目を覚まさないのが人間なので、「こうなりたい」という事柄についてはナーナーな時間は排除する必要があるのです。
個人的に一番嫌いなのは、「○○なりたいけど、自分で動くのはちょっと…」のような発言です。
「一生眠っておけ」と思うくらい相手にしたくありません。時間が生きてないのです。
そして時間を殺していることに気がついていないのです。
しかし、国のため、市民のため、いい店を作ろとしている店のために商売、セールスはとことん行う必要があります。
理由も明確に書いていきます。
セールスは人間性を高める
セールスというのは、人がなにを求めているのか?を考え抜く仕事です。
それを与えることによってどうなっていくのか?を相手の未来の理想と重ねることが仕事なわけですから、「○○を渡したから終わり」のような人間にはならないはずです。
(表面づらだけをきれいに見せて、○○を渡しましたから…と終わるのは商人ではありません。職人です。)
職人か商人か
専門家の場合、僕も元々建築設備の設計者なので、職人を見て思ったことがあります。
「設計図通りやりました」という職人と、「設計図にはコンセントの位置はここに書いてますが、ここにもコンセントは必要じゃないか、施主に聞いておいたほうがいいですよ」という職人がいます。
言うまでもなく、後者の方が高給取りで仕事がどんどん進んでいきます。
要望を予想して、施主にコンセントを無意識、当たり前のようにセールスしているわけです。
頭を使っていればセールスは増える
先ほどの話からわかるように、セールスは本来、尽きないはずなのです。
セールスが尽きると言うことは、これ以上なにも改善や改良をしなくていいという「完成への執着」がないということになります。
だから行動がナーナーになり、セールスもできず、セールスが鬱陶しいとなるわけです。
※「完成」は追求すれば終わりがないので、セールスも本質的には終わりはないのです。
預貯金は死んでいる
これもよくある話ですが、預貯金として保管しておくということは、「完成への追求」「欲への冒険」を辞めて、あの世まで持っていくために貯めておくものだと思っています。
あの世に行く瞬間に、「え?結局人生、なにしたんだっけ?」となることが最大の人生の失敗だと思っています。
今死んでもなにも変わらないと思えるくらい失敗だと僕は思えます。
人の心は基本、暇してるのです。
人間、完璧にはなれないにしても完璧を目指して人生の経験として子孫に「話」を残すというのが人生の意味であると僕は思っています。
「話が残らない」ということは生きた証がないのです。
自分の先祖の事を知っていますか?
顔や形は知らないはずですが、「話」だけは生き続けているはずです。
セールスは国を潤す
セールスにより金銭が動く瞬間に税金を納めることになります。
それだけではありません。
利益が出たら、その利益で「すきな店」「応援したい店」を潤すことができます。
付加価値を与えることができる、こんな素晴らしい世の中ありますか?ということです。
ケチくさく自分の貯金の残高ばかり気にして、どの店に行っても最低限の注文しかしない人が、世に溢れたら、商売をする側は、楽しいですか?と言いたいのです。
結果として仕方なく政治の力で、消費税を増税したりするわけですが、これは一人一人がケチくさい、もしくは商人がセールスを怠けるからこういうつまらない取られ方をするのです。
国の恥は個人の恥だというマインドを叩き込む必要がありそうです。
国を叩く前に自分を叩けというのが僕の考え方です。
付加価値を上げる努力
国が潤い、店が潤い、人が潤うためには、「付加価値」が絶対的に必要になってきます。
セールスをすると言っても、100円のものを100円で売ることはセールスではありません。
潤す気がないとはっきり言いましょう。
100円のものを100万円で売ると、999900円が付加価値になります。
※声を大にして言いたいですが、これが全てを潤すのです。潤いの元は付加価値なのです!
その99万9900円から、店に払い、人に払い、そして余りから国へ税金を払い、国が整備されていきます。
そしてわかるように本来、国への納税額の計算は最後になるのです。
セールスがどんどん行われないと、結局預貯金(最終的な相続税を含む)から税金を支払い、国がお金を世の中にばらまくために交通整備や都市開発へお金を使います。
結果として、「無駄なものができた」とか「税金の無駄使い方」とかいう人が居ますが、全体が見えてなさすぎです。
ケチは無駄を生むのです。
(ケチと管理は別)
最近も「桜を見る会」でお金の使われ方がおかしいとかいいますが、使わないと弁当屋もホテルへお金が回らないんですよ?と言いたいわけです。
いい加減、一人一人が偽善者となり頭を使わないと戦争も起こるよ。と思ってしまうわけです。
僕は貯める前提ではなく、使う前提で入れるのでセールスを行うことに摩擦がないのです。
(だって、ケチくさい人がお金を持つよりも、どうやったら人に影響を与えることができるかなって人にお金を回した方が、たくさんの人に影響をもたらし、膨らみ、潤いが広がるって分かりますから…)
毎日がセールス
最後、超重要な話をします。
強めに書いてきましたが、セールスというのは、金銭はもちろん、金銭だけのことではありません。
100円でドーナツを買うとき、100円以上を受け取れたと店員に思わせる振る舞いが、こちら側の付加価値となります。
この人の100円は1000円に値すると思われることが、そもそも勝ちなのです。
たとえ100万円支払っても、この人の100万円は、ある人の100円と同じと店員に思われたら完全な負けなのです。
さて、どれだけの人が人生負けているのでしょうか。
お金だけ積んで待っていたり偉そうにしてるのは、ある人の100円…いや、0円にも負けるのです。
ビックマック1000円と、カッコいい、可愛い店員のスマイル0円…今の時代どっちが残りますか?ということです。
びくっとする点があるならば、僕の本「すべてを活かす」を読んでください。
毎日がセールス、毎日が給料日(金銭的と精神的)にならないとおかしいのです。