
こんばんは、今回は「満たされる」「満たされない」についての見解を書いていきたいと思います。
僕自身も「これさえ手に入れば」とか「これさえできるようになれば」など考えて、ある程度思いつくことはやってきました。
- タワーマンションを借りる
- 高級ディナーを食べまくる
- 鉄板焼きで1人1万円は当たり前
- レクサスを2台買う
- 持ち家を持つ
- 財布に200万くらいいれる
- ヴィトンのカバンをかう
- エルメスの財布を持つ
- 年に数回海外旅行に行く
- 食器にお金をかける
- 欲しいものは即座に手に入れる
- ランチでも5000円は普通
- リッツカールトンのラウンジで一人のみで5万円
- 東京、大阪の高級ホテルへの宿泊
- 1泊5万円以上しないと泊まる意味がないとか言っていた
だいたいこれくらいのことをやってきました笑
いま、ざーっとみると、平均よりは贅沢してきたはずです。
これを踏まえて感じたことを書いていきます。
最初は夢を感じ、満たされる
サラリーマン時代においては、拘束時間が決まっていたので、いくら年収ベースで600-700万円あったとしても、土日にしか時間はありません。
なので、自分でビジネスを行うようになり、これだけのことをしてきたということは、いやらしく聞こえるかもしれませんが、夢を感じていました。
すきなときにすきなことができるわけですから・・・・
しかし、それは最初だけなので、安心して読み進めてください。
慣れてくると、「この程度か」という思考が生まれてくる
小さい時に公園で遊んだことはありますでしょうか?
最初は、滑り台がとても楽しいものに感じたはずです。
「なにこの爽快感!!心臓がふわっとする!!」
しかし、少し年齢があがり、アスレチックを知ってしまいます。 そうすると、今まで楽しめていた滑り台が「え。もうこれは面白くないんだけど」となってしまいますよね。 悲しいことに・・・・笑
この感覚に非常に似た経過をたどります。
どういうことかといいますと、、、、
- タワーマンションを借りる → 住所的に微妙だからだめだ
- 高級ディナーを食べまくる → 結局は新鮮な食材がいいってころじゃん
- 鉄板焼きで1人1万円は当たり前 → サービス料、付加価値が付いているだけだろう
- レクサスを2台買う → ベンツじゃないし・・・
- 持ち家を持つ → 4000万円くらいの家を持っている人なんてゴロゴロいる
- 財布に200万くらいいれる → ある程度の遊びはできるから逆にいいやってなる
- ヴィトンのカバンをかう → 逆にありきたりな自分に嫌気がさす
- エルメスの財布を持つ → これはよかったかな笑
- 年に数回海外旅行に行く → これもよし
- 食器にお金をかける → グラスを洗ったらすぐに拭きあげないと・・・
- 欲しいものは即座に手に入れる → 一番ひどいのはサングラスをネットで買って届いて思ってたのとちがったので捨てました。
- ランチでも5000円は普通 → スーパーの総菜でも十分
- リッツカールトンのラウンジで一人のみで5万円 → 飲んでも出るだけ
- 東京、大阪の高級ホテルへの宿泊 → 結局はアメニティとシーツ
- 1泊5万円以上しないと泊まる意味がないとか言っていた → 寝れば明日になるじゃん
こういうことに気が付きたい方は、少人数ですがメンバーを募集しています。
→メンバー募集中
何かに気が付く瞬間
ここからの文章が非常に重要なので、しっかり読んでほしいんですが、上の赤文字をさらに満たそうとしてみてください。
3分間時間を取ります・・・・・・
・・・・・
・・・・・
いいですか? また黒文字で何かを書いても赤文字が出てくると思いませんか??
ということは、そもそも「人間は外側に答えを求めると満たされるわけがない」という答えのようなものに行きつきます。
なので、どうやって満たされる状況を作っていくかというと、これは次のようになります。
求める未来にむけて逆算で今日をとらえて、今日を生きる
まさにこれです。 求める未来のゴールとして「物質」をいったん置いたとしても、その次に更なる目標を決めて動き続けないといけないのです。
イメージで表すと、下の図のようになります。
このように書きましたが、「捨ててはいけないもの」も存在はするはずです。
そこは「自分の求める未来」と照らし合わせて判断してください。
人生、肉体はファスティング、そして良質なものを取り入れることで輝く
すこし肉体的な話にはなりますが、なにをやっても「満たされない」といった思考にたどり着いている時点で、自分の中で壁を設定しているということが判明します。
僕自身も、そういう時期がありました。 結局なにをやっても意味ないじゃんと。
しかし、それを繰り返していくうちに、満たされないと分かっているものを取り続けるのではなく、満たされないとわかったものはどんどん手放して、自分にとってダイヤモンドリターンとなるようなものを探し、それを見つけたら抱きかかえるということを行うと満たされるのではないか?ということに気が付いてきました。
人生は冒険、冒険の内容によって充実度、満たされ度が変化する
満たされるか、満たされないかということを、別の角度からもう少し考えてみましょう。
それは、あなたはゲームをしたことがあるでしょうか? のめりこんだことのあるゲームもあれば、1日で飽きたものもあるでしょう。
その違いは何でしたか? おそらくストーリー性、展開、など進めば何か光があると思わせてくれるかどうかがポイントとなっていたのではないでしょうか?
もう一度図をはります。
上の図で生きると、精神的にはここまでやれば落ち着けるのか。。とはなりますが、届けば行き詰まります。
下の図で考えると、今から手にしようとしているものが、未来の求めるものに対して経由する必要はないのでは?という思考レベルまでたどり着いてきます。
そうなってくると、自分の道が一本道に見えてきます。 そうなってくると、あとは満たされ、苦しみ、満たされ、苦しみという、ドラッグと快感のように前に進んでいけるということです。
あ、誤解を招くといけないですが、ドラッグはだめですよ!笑
「何をやっても満たされない」ということについては、
逆に満たされてはいけないのです。 われわれはいつか勝手に止まる時がくるので、それまでは動き続けることにいみがあるのですから。
ここ1年くらい、ブログの記事を更新することと、名古屋での2,3か月に1回の仕事と、都内で月2くらい人と会うこと以外、活動していなく、ある程度遊んだり物を買ってきましたが、本当に病みましたし、人としてパワーダウンを感じました。
なので、繰り返しになりますが、「満たされない」と感じることは健全なことなのかもしれません!