
コンサルティングをしていると、情報泥棒というものにも、もちろん出会います。
会う前は丁寧で、会った後に挨拶を送ると無視みたいなタイプです笑
何人も会ってきているので、話しているとお腹の中で何考えているかくらいはわかります。
おかしいなと思ったら、いくら払おうが側に置きたくないので、絶対に断るようなオファーを投げて帰ってもらうというのが僕のやり方です。笑
何故こんなことを書くのかというと、嘘をつけば人は喜びお金を払うのですが、本当のこと言わないと、取り組んでいる風で結果が伴わないということを何度も見てきたからです。
その本当のことを話すとほとんどスタートを切ません。しかし、目の前を去っても、おそらくその方は、ずっと夢見てぐるぐる放浪します。
僕は自分の利益を出すのか結果を目指して一体となるのか、究極の選択を何度もしてきました。
自分の利益を出すためだと、ノウハウは惜しみなく話す…やるかやらないかは知らない。と出来ます。
結果にフォーカスをすると、「あー、餌がないと仕事や作業ができなさそうで無理そう」という人にいくら教えても挫けて無駄であり相手も怪我をするだけと感じ、ゼロイチをつくるコンサルとして無力を感じます。
「ゼロから数字を作りたいんだ!」という人200人くらいとマンツーマンでやりとりしてきて、明らかにこれだけは言えます。
心の深くに火がないと無理。
なんとなくやっていって数字になればいいな…では無理。
ということは何度も見てきました。
小手先で情報をあつめて知ったかをしていても、届くわけがないということです。
知った口調をする伸び代のない人
何かを教えてもらおうと思っている人はまず「そうですよね」と腕を組みながら知ってるアピールをしません。
僕ももちろんわからないことは教わるからこそ、教わる態度というものは、すごく気を付けます。
「自分は紙切れのお金しか払えない。それで戦ってきた経験から教えをいただける…」
そんな気持ちで、いつも教わります。
教わるというのは、強くなりたいという強い願望、まず自分の弱さを分かりたいからボコボコにしてくれという、今の自分は強さに向かうための底辺にいるという受け入れる力が必要かとおもいます。
何かを知っているとかではなく、このようなスタンスが違うのです。
目的意識があって合わないとうまく時を活かせないので、頭を使う必要があります。
紙切れでいばる貧相な人
あのレストラン美味しいぞ!となった時に、
そこで食べれるような美味しいご飯を自分で作れないから、お金を払って提供していただくはずです。
紙切れしか出せない自分が、人のスキルや想い、経験を軽々しく「出せよ」「受け取れて当然」みたいな態度をとること自体が貧相な考え方だと思えるかどうかが、振る舞いに差が出るポイントかなとおもいます。
本当に良いサービスとは、紙切れと交換するものではなく、この人に最高のサービスをしたいと思われることから生まれます。
その測り方は
○お金の量
○受け手の姿勢
○受け手の想い
…このようなものがあると思います。
しかし、お金の量だけがあり、「出せよ!」
というお客のために仕事人の提供する心は豊かになるでしょうか?
豊かな感情で出来上がるものが豊かさを生み出します。
脅迫で出来上がるものは、焦り、ミス、冷静な判断ができない、義理になる…のように冷たいものになるのです。
情報泥棒は、取ることしか考えない
情報泥棒が、なにか情報を盗み、それを使って得をしたとします。
もちろん、僕としては嬉しいことには変わりありません。
利益が出来ることはいいことです。
しかし、細かいところが事業に現れてうまくいかなくなることは目に見えるのです。
花咲爺さんみたいな話です笑
情報を盗んでも長期的に再現できないということに気づくでしょう。
情報泥棒を考えるよりも、どうすれば誰よりも引き出せるかを考える
最後に
コンビニで98円の水を買う話をします。
Aさんは、98円で水を買いました。水が98円です。
Bさんは、100円出して水を買い、2円ですが入れますね…と笑顔で募金して、「あ、ありがとうございます」(良い人だ)と思われます。 100円で水と店員さんの心を得ました。
再びコンビニにいくと、Aさんは98円の水をまた買います。
Bさんは、店員さんに覚えてもらい笑顔まで振る舞ってもらいます。
この積み重ねで、どちらが「自己肯定感」とか「自信」がお金以外の指標で蓄積されていくでしょうか?
そのお金以外の自己肯定感と自信の量が商売の利益分に現れるのです。
自分は「受け取れる人間である」というのは、セミナーで聞いたとか、本で読んだとか、そのような情報や、念じたりして手に入るものではありません。
行動から手に入るものです。
マインドにおいては、情報泥棒、そもそも情報には意味がないのです。
情報が意味を持つのは、設計図を書く際です。
設計者としての心構えができない状態で設計図を書いても、それは設計図ではあっても売れる建物にはなるかどうかということです。
情報に全ての意味があるならば、資格者で差は生まれません。
人間の心で差が出るのです。