
最近「普通を極める」という本を出して多くダウンロードしていただけているのですが、一つだけ注意点がありますので、ブログとして書いておきたいと思います。
言いたいことは
本は読んで達成するものではなく、習得していく過程で読めるようになっていくということです。
では詳しく書いていきます。
本を手に取る理由
本を書いたり、コンサルティングをしていて思うことは、とにかく「芯まで染みているか」が全てであることを感じます。
本には色んな使い方があります。
○楽しむ
○ファンタジーを感じたい
○内容に興味がある
○取り込みたいものがある
○目的がある
○暇つぶし
いろんな意味で本やコンテンツに触れるはずです。
「本を読む」という行動よりも、「本を読む」という行動目的はどこから生まれたか?のほうが大切なのかなと思います。
これを説明するためには、因果より深い階層の説明が必要だと思いました。
本を読むけど出来ない
これが本における最大のギャップだと感じるからです。
因果では説明が足らないのです。
本を通して価値観の押し付けはできない
本を書いたり、コンサルティングをしていて、一番言いたいけど言えないことは「僕はあなたになれない」「あなたもわたしになれない」ということです。
なので、本を書いたり、コンサルティングをしていても、結局は、どう本を読むか、どうコンサルティングを受けるかは僕にはコントロール出来ないということです。
本も同じです。僕には書くことしかできないのです。それが本、そして文です。
誰かを自分にさせようとした結果
何かを教えるという本とコンサルティングには同じ側面があります。
だからこそ書けるのですが
「コンサルティングなんだから手取り足取りしてくれよ…」「どうやったら同じ結果になるんだよ」という場面がめちゃくちゃ多かったです。
そう思われる事も理解は出来るので、一番わかりやすい現金が入る手前まで環境を作ってきました。
しかし、結局「これ受け取っていいのでしょうか?」になるか、「何を話せばいいのでしょうか?」…とそこでも止まる不思議な光景を何度も見てきました。
コンサルティングで手取り足取りした結果、最後出来上がったのは、何か指示がないと、何か言われないことには動けないという悔しい思いをしました。
信じる先が外部になるのです。
同じような本を書けるようになったら習得完了
「それ〇〇さんが言ってた!」「それ聞いたことある!」…という経験はありませんか?
これは、〇〇さんが正解という事ではなく、正解に〇〇さんが乗ったということを表しています。
ここを間違えると大変なことになります。
「〇〇さんが正解!」と思うと、〇〇さんの信者になってしまいます。
しかし、覚えておいて欲しいのは、その〇〇さんは、「何かしらの正解」すなはち、種を掴んで、種を信じているのです。
つまり、信じている先が、花なのか種なのかで行動も変わるのです。
絵で描くと分かりやすいので、書いておきます。
花の周りをブンブン飛んでいても、発信手と受信手の信じる先が違うと、花そのものにはなれないということです。
種を植えて上に伸ばすことで花が出来上がることは自然界の現象から見ても間違いはなさそうです。
種となる思想
種となる本というのは、かなり数が少なく、共通事項にたどり着くようにできています。
〇〇さんも言ってた!
△△さんも言ってた!
××って本に書いてた!
こういうのは、このように種より下(※)が共通しているのです。
だから、本来、花になりたい人には、花を信じさせることよりも「種」を信じさせないといけないと個人的には思います。
最初に書いた通り「自分以外の誰かになれないし、誰もあなたになれない」のです。
種を知るためには、誰から聞いても同じ
同じ話をしていても、人が集まる人と集まらない人がいます。
不思議です。
知りたいのが「話の内容」ならば誰から聞いても同じなはずです。
人は自分で穴を掘るより、誰かを経由して種にたどり着きたいという生き物のようです。
いずれにしても掘ることが大切です。
個人的に想像できる花の下に埋まっているものを最後絵と例えでまとめていきます。
まとめ
少し話が脱線しましたが、「本を読む」ことを通し、自分の種を調整することで咲く花に変化が現れるようになります。
もう一度絵で表現すると、どのエリアを意識して本を読むか?によって、本がどう影響を与えるか変わっていくでしょう。
種は核からフィルターを経て出来上がってくるように見えます。
子供が生まれるまでの過程とおなじです。
営み→生まれる これは因果です。
好き、愛したい(核)→営みの意思表示(フィルターを通して選ぶ)→営み→生まれる
子供が生まれる条件は因果でも説明はできるけど、これだけでは説明は足らないはずです。
核に近づけば近くほど、強く強固なものになるでしょう。
あとは方向性です。
ルートAのように
偏見から核に落とし込んでしまうと、核は有限のもの、狭いものになってしまいます。
きゅうりを見て掘っていくと、きゅうりの根っこにたどり着いたと思うはずです。
ルートBのように
核から作り出すことが出来れば、いろんな可能性は今からでも作れることに気がつきます。
ルートB→ルートA→ルートBと、ルートBからグルグル回すと楽になれます。
しかし、これをルートAをスタートにして回すと、フィルターに偏見が入ってしまい、核にまで偏見が届いてしまうので、ルートBは虚像Aに影響を受けてしまうでしょう。
ほとんどルートA→ルートBで思考と現実は流れていくでしょう。
しかし、よーく視点を引いて観察すると、核から出ていることも分かるはずです。
本を読む際、どこに影響を与えたいのか?を意識しながら選ぶと、景色の変わる本の読み方ができるはずです。
このルートA、ルートBの話は「卵が先か鶏が先か」という因果の究極についての話と重なるところがあるので、URLを貼っておきます