人目を気にしておどおど生き過ぎると不幸せになります

こんばんは

最近すごく思うことがあります。

 

それは、「人目を気にしすぎた瞬間にうまくいかなくなる」ということです。

 

どういうことかというと、「人目を気にした発信、自己表現、コミュニケーション」は利害関係や、体の関係だけのためだけでいい!と割り切ったほうがいいということです。

 

通常の友人が欲しいといった場合に、いちいち目の前にいる人に合わせた言葉で返す必要がないという、自分なりの結論に近づいてきました。

 

この理由について順番よく話していきます。

 

 

人目に気を使った発信、発言、ふるまい

 

これは、いらないです。

こういうと、「こいつコミュ障だろ」と思われるかもしれませんが僕自身2種類の自分の発し方の経験してきているので、この記事を堂々と書けると思っています。

 

最初にいいたいのは、「あなたは芸能人ではない」ということです。

どういうことですか?というと、芸能人というものは、見られる仕事なので、「好かれようとした振る舞い」をしています。 ということは人として不自然な振る舞いを意識的にしているということです。

 

あんなにフォロワー、ファンがいるのに、「信じれる人間は?」と聞くと、通常の人の数と変わらないか、もしくは通常の人より少ないかもしれません。

 

ということは、テレビで見る芸能人のような振る舞いを意識したとしても、あなたは本当に求めるような人とはつながることはできないということです。圧倒的に認知されている母数も違います。

 

 

 

 

気を使わない振る舞い (高校くらいまで)

 

僕は、小さい時は「人の目を気にしない子供でした」

なんも考えずに友達の家までいき、ドアをたたいて誘ったり、気になる女の人がいたら連絡先を聞くとか、遊ぼうとか言ったりとか、そういう風に自分のしたいことをとにかくやっていました。

「いそがしいかなー?」とか「ほかにいるだろうから自分はいいや」とか

そういう思考すらもしていません。 「自分の要求に対して白か黒が分かればそれだけでいい」

 

すると、陰口も若干耳に入ってきましたが、「オール無視」というか「ただのひがみだろ」くらいの気持ちでいれたわけです。

 

その時の自分は「たのしかった」です。

 

気を使い始めた自分 (高校以降)

 

高校を卒業すると、なぜか人目ばかりを気にするようになってしまっていました。

それはなぜかというと、「学歴」とか「お金」という概念で差別的な目線な大人を見かけるようになったから、学生ながらの自分は無力なんじゃないか?と自分で、自分を封じ込めていった記憶があり、それと同時に、関わる人に気をつかって「優しい」といわれることで安心感を得ていました。

 

この時は「これがベストなやり方なんだ」と思っていましたが、なんか違うということに気が付いてきます。

 

 

 

h2 自分を守るやさしさ

 

このやさしさはどこにむいていたのだろうかと考えると、まぎれもなく「自分」でした。

例えば、こいつと関わりたくないなとおもっても「優しいとおもわれるためには」ということが脳で先行的に働きました。

 

その結果「やさしいけど、軸がない」みたいなキャラクターになってしまっていきました。

 

つまり、「やさしさ」というものは、自分を押し出したときに、出る「やさしさ」なら意味があるけど、相手に合わせた時に出る「やさしさ」には意味がないということを察し始めました。

 

だって、もし関わりたくなと思っている人に「優しくして」関わることになったとしても、絶対疲れます。

 

「自分を守る行為」これは、結局は「自分を出す」という結論に自分の中でたどり着きました。

 

代わりはいくらでもいる

 

こういうことを書くと、非道徳かもしれませんが、人なんていくらでもいます。

 

あなたがオレンジ色だとしたら、あなたはオレンジ色を発しておけばいいのです。

わざわざ人に合わせて、黄色になったり、ぴんくになったりとかそういうことは普段する必要はないのです。

緑色がきらいなのに、緑色になろうとしても、病気になります。

きれいなオレンジになりたいなら、「きれいなオレンジにしてくれる人だけに用がある」と声に出してみてもいいかもしれません。

 

冒頭にも書きましたが、へんに人目ばかりを気にすることを普段したとしても「利害関係」「損得勘定」が人脈構成の基準となってくるはずです。 

 

そうなったとしても結局は、「影響を与える人」か「影響をうける人」のどちらかにしかなりませんから、発信力が強い方がいいです。

 

じゃあどういう発信をするかといったら、「自分を出す発信」です。

いずれにしても「おどおどして人目を気にする自分」になった瞬間に、「負け」てしまうのです。

 

 

人との付き合いは「勝ち負け」ではないと、僕も自分で言い聞かせていた時もありました。

 

 

しかし、この勝ち負けは「自分を出す勇気を出せるかどうか」という自分との勝ち負けという意味です。

 

このタイミングで、もう一度「人目を気にしないで、自分色を出す」ということを意識してみてはいかがでしょうか。 そのほうが確実に楽になれます。これは断言できます。

 

追伸

人と接していきながら、嫌いだなーと思う場合は、相手も同じことを思っています。特に似た方向性がないのであればすぐに切ることをおすすめします。

相手は相手の方向性があります。

こちらにはこちらの方向性があります。

どちらかが違うなと思ったら、相手にとっても違うのです。 その目の前の相手と気持ちよくダンスができますか?

気持ちよくダンスをしたいのならば、まずは自分を出すこと。

そうすることで、あいても自分を出してきます。

そこでダンスができるのです。

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ABOUTこの記事をかいた人

shokama

【事業】ウェブ関連・マーケティング 【生い立ち】 1987年4月生まれ。 鹿児島県育ち、現在東京都在住 なぜか引っ越し経験が特に豊富です。 鹿児島(霧島市)→熊本1箇所(夜間大学)→(大学編入)→千葉2箇所→(就職)→福岡3箇所→(転勤)→東京1箇所→(脱サラ)→千葉1箇所→東京5箇所目→石川県金沢市2018年8月~(現在合計15回目) 【仕事】 大学卒業後に大手建設、設備設計担当 2013年~ (Tfas使ってました) 2年後脱サラ(2015年7月) インターネット関連の事業を開始 2015年~