影響を受けっぱなしだと何も生み出さない話(ファイターマインド)

・・・・影響を受けて行動するっていうのは、ある意味何も考えなくてもできる行為なので、とても楽に現実を操作できる方法です。

しかし、影響を受けて行動するということは、第一人者、最上流として影響を促している者ではなく、経由者にすぎないということになります。

「情報は高き所から低きところへ流れる」という言葉があるように、影響を受けて流すよりも、影響を与える立場になったほうが僕は素直にカッコいいとおもっています。

そして、上層部だけが牛耳るという仕組みも、結局は誰かの影響を受けて行動するという人の割合のほうが圧倒的に多いため、三角形のような構造が出来上がるのです。

「いつもあの人の真似ばかり・・・あの人にどうやったらなれるのだろうか・・」

そのように考えた瞬間に、三角形の上部にその人を置き、自分はいつも見上げるだけになり、行動もすべてコントロールされてしまいます。

その結果「不自由な生活」「なにかに縛られた生活」を送り、「解放されたい」と願うわけです。

実は自分が自分を縛ってしまっているパターンが大部分ではないか?と僕は感じております。

そう思いながら、「不自由になる考え方」の部分を改善させるためには・・・という試みが今回の記事となります。

「教えるから教えてよ」「教わるから教えるよ」が正

自分の行動を真似されて喜ぶ人ももちろんいます。

しかし、そのタイプの人は、極端にいうと人を「奴隷」のように見る傾向があります。

なぜなら、自分が一番だと思っているから真似されて当然、どんどん真似されて自分のすごさを確認していきたいタイプの人かなと僕は思っています。

いわゆる承認欲求むきだしってやつです。

しかし、本来、自分がやっていることというのは「自分の中で最高」ではあるけど、「自分で探せない最高」も見つけて取り組みたいとも思っているはずです。

承認欲求が強い人ほど、誰かを観察して比べる傾向がありますよね。
インスタなどSNSでやたら自分以外のことを観察している人には驚きです笑

自分と比べるならまだしも、自分以外のAさんとBさんを比べて低いほうを、外側から馬鹿にするとか終わってます・・・

自分で探せない最高に出会うために人と人が横で繋がることが、フェアなつながりだと僕は考えます。

簡単な例を出すと、おすすめの飲食店を聞きっぱなしで、「おしゃれですね!」と言って褒めているだけでは、教えている側は「おもしろくない」のです。

「自分は〇〇という店が・・・で好きなのでよくいっています」など、教えられたら、その人にも自分の話した店を相手に検索させる必要があるのです。

いわゆる「センス勝負」ができてお互いのセンスが磨かれていきます。

間違っちゃいけないのは、ねじ伏せるとか、覆いかぶせるとかではなく、リスペクトの意を持った上でのシェア、勝負です。

勝負でしか人は強くなったり成長はしない

「勝負事はきらい」という考え方のほうが根強く人々にくっついているはずです。

しかし、気がつかないところで勝負をしている場合が多くあります。

いわゆる嫉妬という名の勝負です。

これは人を幸せにしません。もちろん自分自身もです。

なんども言いますが、ここで僕が書いている勝負とは「相手をぶちのめす」という意味ではありません。

 

自分を知るためにお互い戦うのです。

つまり、戦う相手には敬意が備わるのです。(超重要)

経験、体験から知る

自分の強み、弱みというものは、戦って感覚的に体感しないとわかるものではありません。

戦わない人ほど、自分自身の強み、弱みを誰かに教えてもらおうとします。

 

自分のことを他人に教えてもらっても意味がありません。元どおりの生活です。

これは200億パーセント言い切れるので、例を挙げていきます。

 

自分を信じるというのは、今までの体験から自分で強みはこうじゃないかな・・・弱みはこういうところじゃないかな・・と自分と向き合い、自分で行動を調整していくことでできることです。

 

他人に強み、弱みを教えてもらっても行動を変えなければ何も変わりません。

 

行動を変えるには、自分で自分の強み弱みを体感して、向き合い、どうせなら同じ時間を生きるならば自分を最大限活かそうという気持ちが自分の中で燃え上がることで少しずつ変わっていくのです。

 

気になることは、どんどんやってしまいましょう。

戦っていると魂に火が付く

に火がつくのです。

占い師が、本をぺらぺらめくり、「あなたはこういうことが向いてます」とか「未来はこうなります」と言ってきたところで、座って話を聞いているその時間が勿体無いと思うくらい自分の魂に火がついている感覚です笑

 

「本当は自分の強み、弱みはうすうすでも気が付いてますよね?」くらいの質問一発でいいと思っています。

そして、その本人がしゃべる強み、弱みをどう活かしていくか?を一緒に話してあげるのが愛なのかなと僕は感じます。 

 

「あなたは〇〇です!」「未来はこうなります」・・・・それを他人にいわれたら悲しくないですか?

僕はそこには愛を感じません。

ブログ運営者の本を読む

だからこそ、僕はこの本を書いてます。 

物事をどう活かすか?のほうが圧倒的に大事なのです。

格闘家は何のために戦うのか?

格闘家で本気で殴り合っているのに、終わった後ハグをしているシーンをみたことはありませんか?

あれは、相手と戦っているのではなく、自分と戦った結果、自分を知れて喜んでいるのだと思います。

月でシャドーボクシング、筋トレ、プロテインを飲んでむきむきになって「俺は強い!」と言っていても、本当に強いかわかりません。

実際に誰かと戦って、相対的に強いことを確認しないことには、自分を知れないのです。

すべては「相対的に見てどうか?」でしか測れなく、自分以外の人がいるというだけで、最高の舞台でいきているはずなのです。

人間は本能的に戦うことが好きである

実は、人類は強くなるために、どんな人も本能的、深層心理で戦い相手を探してると僕は思っています。

だから「愚痴」「嫉妬」「怒り」などが出るようにできているのです。

その感情を覚えた次の瞬間に、相手と戦おうとしないで「劣等感」で受け止めてしまうとドツボにはまります。

サンドバック状態です。

サンドバックを叩いている方も、なにも返してこないから飽きてくるのです。

エキサイティングに欠けます。 少しは打ち返してほしいのです。

想像してみてください。

サンドバックを永遠と叩いているだけなのか、打ち返してくる相手と戦い、勝つために練習するのか・・人はどちらが楽しいと思うでしょうか?

 

「人と戦って勝ったらダメ」ではなく、勝っていいのです。

戦いという認識に敬意が入らないからネガティブに捉えてしまうのです。

ここは月ではなく、地球です。

人が自分以外にもいるので、お互い成長するのです。

誰かの背中を追うだけの「無」生産者になっていては人生つまらない

「人生がつまらないんです」

そんな言葉をよく耳にします。

それは、「生産していない」という一言で片付きます。

本を読んでも読みっぱなし、面白い体験をしても共有しない、綺麗な姿になる努力をしない、健康な状況になろうとしない、笑顔にもならない・・・

考え方が、自分本位で、けちくさく、ねちねちして、人を観察ばかりしているのです。

周りの人が「はっ」となったり、「ほっ」っとなったり、「おっ」っとなったりさせてはじめて本来の自分としての人生の意味が少しだけわかってきます。

誰かに影響を受けてもいいのです。

しかし、それを自分を経由して外に出すときは、その流れ元よりも「大きく」して外に出すことがポイントです。

それなのに、「えぇ・・・」「はぁ・・・」とばかりなっていては、自分の発信も「えぇ・・」「はぁ・・」を与えるものになり、それがまた跳ね返ってきて、さらに「えっ」「はぁ・・」の人生が加速し、大元がすべてを吸い上げていくということです。笑

誰にでも生産者になれる

情報発信だけが「生産者」ではありません。

「綺麗な言葉使い、綺麗な格好、笑顔」

「部屋を掃除して人を招き入れる」

「ご飯を作り、振る舞う」

これだけでも立派な生産者です。

(重症な人は、これに対しても「潔癖症だ」とか「意味がない」とか「何者気取り?」とか言ってやらない自分を正当化します。 普通にへらへらしながら無視してください。 相手にする必要がありません。)

誰かを嫉妬深く追いかけ回す人生だけは避けたいものです。

情報発信(先ほどの笑顔等も)をしている人は、嫉妬を与えたくてやっているのではありません。

僕たち一人ひとり受取手がしっかり物事を受け取れることさえできれば、この世は一気にお花畑なのにな・・とおもうこのごろであります。

 

要するに、粘着質で、けちくさい人が問題なのです。

「彼氏にしか、彼女にしか笑顔は見せません」

「仲良い人にしか心は開きません」

・・・こういう人ほど、心を開いたときに無防備なサンドバック状態になります。

 

「はじめから全員に心を開く」のです

心を開くと、そこに深く入り込んでくる人ももちろんいます。

 

しかし、そこも「心を開く人が他に少ないから」という自己肯定に繋げ、相手を認めてあげましょう。

その次に、「距離感」のトレーニングです。

 

このように、実はどんな人も格闘家のように戦える毎日を送り、強くなれるきっかけに常に触れているということは、その時点でダイヤモンドのような毎日なはずなのです。

(綺麗事ですかね・・・笑)

 

とにかく影響の受けっぱなしは辞める。手や足を出す

誰かがディナーで、ゴールドディナーコースを頼んでいるのをみたら、プラチナディナーコースを頼むのです。笑

その瞬間に、自分の方が高いディナーを食べたんだから負けられない・・と単純なモチベーションを得ることができます笑

見栄っ張り、負けず嫌いとかではなく、「自分の成長にむけて気合を入れる」という意味です。

「あーあ、見栄なんか張っちゃって・・」とかそういう声も「うるせぇ、自分は頑張るんだ」と自分にカツ(相手にカツではない)を入れればいいのです。

自分を高めるために自分と戦う意思の強さであると僕は思っています。

 

「いやぁ・・・あの人はさすがだなぁ」と思ってお腹を出した瞬間に、「負け」「思考停止」「怠け」です。

同じ人間である以上、そこにその人が居てくれているわけですから、自分も前に出て成長と幸せを追求する意思をもってみてもいいのではないでしょうか

誰かに対して「いいなぁ」と思ったときは嫉妬ではなく、「なにぃ!やるなぁ!まけられないぜぇ!」くらいのことを頭で思いうかべて楽しみながら行動につなげていきましょう。

嫉妬していても、持ち物(こころ)はどんどんやせ細っていくことでしょう。

受け取るだけで終わるということが、どれほど自分を貧弱にさせるか?ということがわかるはずです。

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