「ほめて伸びる」というタイプが陥りやすい罠、ありがとう、ごめんねについて

※今回の記事は、かきすぎたかな・・大丈夫かな・・・消そうかな・・と思いながら書きました。

無名であるがゆえに書ける内容です。

 

 

おはようございます。

一応僕は先に話しておくと、超高額の個人向けコンサルティングをしてきました。

どれくらい高額かというと、2,300万円です。 しかも「個人」です。

「高すぎる」と思うかもしれませんが、4年間にわたり、何人もこれくらいの額を自主的に払っていきました。

 

そんな僕にしか見えない概念があります。

「ほめる」ということについての罠があるな・・・・ということです。

「ありがとう」「ごめんね」という言葉にも罠があるとおもっています。

 

このあたりの攻略ができるかどうかで、この高額コンサルティングの費用をあっという間に回収できるかどうかが分かれるということも目の前で見てきて思うことがありますので、記事として書いてみました。

 

そして、この記事には、「恐ろしくて、神秘的である」という部分も包み隠さず下の方に載せています。(ラインのやり取り)

 

なぜ僕のコンサルティング(ただのやりとり)が2,300万円の価値がつくのか?という部分もお分かりいただけるかと思います。

 

万人ウケしない内容ですし、この時点で不快に思われる場合は、ここから先へは踏み入れないようにしてください。

人間の神秘を感じるなぁと思う内容となっているはずです。

それではいきます。

「ほめる」ということは優劣を生み、他者への依存度が上がる

よく「ほめて伸びるタイプだから」という人がいます。

ためしに、褒めてみます。

瞬間的に「喜びます」

 

しかし、その人が、周りで褒められている度合いが自分よりも高い人を見た場合、どうなると思いますか?

 

妬み、嫉妬、勝負という概念が生まれます。

「あの人のほうは褒められている・・・・・」

「誰でも褒めてるんだ」

「もう一度褒められたい」

 

一言で言うと、「依存」状態であるということです。

いかにして周囲よりも先に褒められ、たくさん褒められ、リーダーの愛を独り占めできるか?ということに執着してしまうという罠があります。

 

そうすると、次に浮かんでくる思考は、「周りはすべて敵である」と、戦いの場に身を置くことになってしまうのです。

これが「ほめられると伸びる」という言葉を使う人が、持っている【依存】という狭い、薄暗い空間のような場所に閉じこもる原因となっています。

 

みずから戦場に飛び込んでしまっている可能性があるので、ここから先読み進めて好転換させていきましょう。

次は、「ありがとう」と「ごめんね」についてです。

ありがとうとごめんねの罠

「ほめると伸びるタイプなんだ」という思考が強いと、この「ありがとうとごめんね」という言葉への執着も強い傾向があるようです。

「ありがとうを言われないと、やってあげた甲斐がなかった」

「ごめんねを言われないと、相手は反省もしてないし許せない」

というのは、これも「ありがとう」と「ごめんね」に【依存】しています。

もっというと、「見返り」を求めているときに、この言葉への執着心が湧くようです。

 

よく怒っているおかあさんらしき人物を外で見かける時に思います。

子供に対して「なんでありがとうをいえないの?」とか「なんでごめんなさいがいえないの?」という言葉をガミガミ使っている割合が多いな…と。

それがなんでか?と、いうのを考えたことがあります。

 

そこで感じ取った一つのことは「自分の支配下に置きたい」「権力を持ちたい」というただそれだけなのかなということです。

なぜなら、「ほかの子はありがとうとごめんね」をうまく使いこなせているのに、我が子は使えていないのです。

 

ということは、「自分の教えが間違えている」ということを子供が教えてくれているわけなので、逆におかあさんが子供に対して「ごめんね」「ありがとう」と言わないといけないのです。

 

すなはち、双方で「打ち消し合う」からそこに言葉はなくていいのです。

 

この起きた出来事に対して「これから先」にどうしたいのか?が重要となります。

そうでないと、また「ごめんなさい」を言わせるようなことが繰り返されていきます。

 

なぜなら、「ごめんね」と「ありがとう」を言わせることで、権力を持ちたいその人は消えないからです。

 

しかし、「ありがとう」と「ごめんね」は素晴らしい言葉であることは間違いないと思います。

では、どういう風に「ありがとう」と「ごめんね」を使うときれいな言葉になるか?ということです。

 

綺麗な「ありがとう」と「ごめんね」について

 

「ありがとうとごめんねにきれい、きれいじゃないとかないよ」とあなたが思ったなら、間違いなく「依存度」「支配欲」の強い人物です。

 

あなたが「自立」「共存欲」が強いタイプの人間でしたら、この話は分かると思います。

では続けて書いていきます。

 

「気付きを受け取ったときのありがとう」

 

大前提として、人は一人では生きれない生き物です。自分が正しいと思って生きていても、それを評価するのは周りの人です。

例えば、「恋人がほしいけどできない」という人がいたとしましょう。

 

その人が、異性とコンタクトを取って、毎回友達止まりで終わってしまっていて、ある異性から「一緒にいても刺激がないんだよね」と言われたとします。

 

依存度が高い人間であると、「はぁ?そんなこというとか、あやまれよ!」という言葉を出します。

しかし、自立心が高い人間であると、「なるほど・・刺激か・・・たしかに、なんでそもそも付き合うってなるんだろう。そこがわかってなかったのかな」と「根本的に付き合うとはなにか?」という情報を探し始める自分と出会うことになります。

 

机上の空論ではないということを証明するために、とある女性とのラインを出しましょうか?

依存から自立への転換していく瞬間(2019年4月)

(※「笑」を入れる入れないあたりまで意識して文字を送る)

正直僕は、「すきとかきらい」とかそれ以上にまずは自立への招待」を手にしたいと思って、人々は生きているのだと確信しています。

好きと言われても、「今の自分は好き?」という問いにYESと答えれないと、意味がありません。

だから僕は、時に傷つけることがあったとしても、その「自立への切符」を手に取ってもらうために、嫌われることも惜しみません。

すこし怖い話かもしれませんが、この方と知り合ってこの方が口にした過去の話の内容を聞いた時点で「この人が僕から学ぶべきものは〇〇」というのを最初に僕が決めて、ストーリーを決めて、このようなラインがくるまで僕がコントロールしたから載せています。

そして、僕が決めた「この人が僕から学ぶものは○○」ということが達成された時点で縁も切れる(手放すことができる)ようになっています。(カルマの解消)

※本人がこの記事を読んでいたとしたら・・・ネタに使ったとかではなく、しっかり向き合って真の自分に出会っていくというとても大切な部分を尊敬しているからこそ、自信を持って第3者に見てもらいたいから載せています。尊敬の意です。

 

まず出会うべき人物は、【自分という最初の恋人】です。

その【自分という恋人】が選ぶ恋人が、真の恋人になるのです。

するとすぐにモテ始めます。

※僕がモテるように誘導しました!すごいでしょ!・・・ではなく、真の自分に出会う勇気を持ったこの方が100%すごい

1か月以内に確認済

(※わかっていながらどんなことが起きた?と聞いて、相手に言ってもらうことで、磨き始めたら告白されるという潜在意識を自分でいれる瞬間。あとは勝手にうまくいく

 

この【自分という恋人に出会わない状態】で、時間とお金を使うという行為は、争い、縛り、嫉妬、妬み・・・など狭くて暗い場へ進んでいくことでしょう。

【自分に恋】をすれば、すべてが好循環になっていきます。

 

※「自分に恋をするために・・・」だけを考えると、浮気は自分の恋心を汚すと分かるので、安定的な一途になれます。

※「相手に恋をするために・・・相手に恋してもらうために・・・」を考えると、よくしてくれる人に目移りし、浮気を繰り返します。

 

 

そしたら、その気付きを与えてくれた異性に対して、「ごめんね」を求めるのではなく、「ありがとう」を与えたくなるということです。(言わなければいけないとか、常識とか、そういうことではない

この「ありがとう」はとてもきれいで神秘的なありがとうとして活きてくれるでしょう。

「気付きを受け取れなかった自分にごめんね」

 

上のようなことを経験したときに、今度は、自分に対して「ごめんね、やっとわかったよ」と自分に謝ることができます。

子供が万引きをして、捕まったときも「ごめんなさいといいなさい!」というのではなく、「もし僕くんが店員さんだったらこういう人がいたら怒らない?」と、絵をかいて物語風にしゃべってあげて、子供が店員さんの視点で「怒る!」となってもらうと、この【万引きして捕まる】という事柄に「教えてくれてありがとう」が言えるようになるはずです。

そして、「気付けなかった自分ごめんなさい、怒ってくれた店員さん、おかあさんありがとう、みんなで教え合いながら生きているんだね。ここから先は・・・」のようにきれいなごめんなさいが出てくるはずです。

※腕を伸ばした時に、誰かの頭をブッたとかそういう場合は、普通にごめんなさいといってください

※自立心が強い人なら、「痛いということが分かった。生きている感じがした」と、そこでもありがとうと言えて、ごめんね。は求めないはずですが・・・これは極めている人です笑

 

僕は記事を書くことに対して褒められることも、ありがとうも求めない

 

自分は本気で人と向き合って生きているつもりです。

だからこそ、人から学んだものに対してとても敬意を感じます。

「ありがとう」と素直に言えない部分もあるからこそ、その毎日起こる出来事を芸術として文という形にして外に出したい。

・・・とそういう気持ちで書いています。

 

僕がこの記事をかけていて、この記事を読めているのは、「僕のおかげ」ではありません。

僕の文が芸術ということではなく、芸術の素材はあくまで僕の周りです。

僕の周りにいる人のおかげです。周りの人、周りの物から僕は学んでいます。

なので、僕は、ありがとうという意を記事に乗せて発信しています。 

 

そこで、何をあたえようか・・・と考え、お菓子や現金を与えるということも考えました。

しかし、おごってあげたり、モノをかってあげても、結局は「飼いならされてる気がする」ようになっていき自信が喪失し、依存度がまし、どんどん狭い方向へ人を導いてしまう感覚を何度も覚えました。

 

僕は、おごられるよりもおごる方が気分がいいです。

(もちろんおごられるのも気持ちいいですが、毎度おごられていたら自信がなくなります)

だったら、おごられる方法よりもおごる方法のほうが、聞いてて楽しいんじゃないか?ということで「自立」にむけたメッセージに重きを置いているということです。

 

さて、あなたはどのような生き方をしましょうか?

僕は机上の空論ではなく、現実世界としてこの芸術的な世界を毎日見れるようになってほしいと心から思っています。

この世は天国ですから。

 

・・・・とか言ってみたり笑

 

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