いつもと違う日という意識

おはようございます。

昨日は、築地で寿司食べて、銀だこ食べて、リッツカールトンのラウンジでお茶して、夜は叙々苑いって・・・

 

食費だけで、35000円は使いました。

どう考えても、この財布の緩さだと、将来が不安がられたり、一流の過ごし方とは言い切れないので、言いたくないのですが、このテーマを話すために、仕方なく書いています。

画像類はインスタにて→https://instagram.com/sh_kama41

 

自慢とかそういうことではなく、僕は最近普段、本当に質素なものしか食べません。

納豆とか、ちくわとか、芋とか、野菜類です。 お酒もだいたい買いそろえたので、今は家で作ります。

 

1週間2000円あれば十分なレベルです。なので、1年を通した時に、食費は並みかそれ以下だとおもいます。

僕にとっては、この感覚が「素」なのですが、人と接するときは、「いつもと違う日」を演出する努力をしています。

 

その結果、人と接するときは行動が極端になるということです笑   

 

一人でかっこつけていた期間

 

少し前までは、一人で食費を気にせず、バー飲みとかばかりしていました。

 

カリスマ性があることを見せたいがために、バーでもクールな立ち回りで、カウンターに座り、特になにも受信していないiphoneに目をやりながらかっこつけていました。

 

別になんのカリスマ性もないので、ただの自己満です。

 

どこにいても、目の前にあるのはシャルドネとケータイ、ミックスナッツ。

それを繰り返していくうちにあることに気が付いてきたのです。

 

 

 

誰かの当たり前じゃないことを与えることができたら・・・・

 

つまり、人は誰しも、どんなことをしていても「変わりない当たり前な毎日」に嫌気がさしている可能性が高いということが仮説として考えられます。

 

ここからがすごく大事なので、声に出してください。

200超えるくらい記事を書いてきましたが、今の僕ではこの言葉が一番うまく生きる考え方だと思います。

 

それは

 

「相手の行動に合わせていたら、相手の満足度は相手の過去の経験の範囲で収まる」

「自分の行動に相手を合わせると、相手は「今までの当たり前じゃないこと」を感じて刺激される

 

つまり、人に嫌われないように「合わせる」ような行動をとること自体、深いところでは、相手を満たしきれていないということです。

 

 

相手基準で合わせることには限界がある

 

僕は「相手が求めるようなことに合わせて行動をとることが、相手を満たすことだ」と思いながら過ごしてきました。 

 

この世は「我が強いやつ」が多いので、相手優先で動いてあげると、「この人は優しい人かもしれない」と相手を引き込みやすいのも事実だとおもいます。

 

しかし、「我が強いな」と思っている時点で、【当の本人も我を出したいけど、出せない自分にいらついている】可能性がたかいわけです。

 

今までの経験上、「我が強いやつが嫌い」という人の9割は我が強いです。

 

どういうことを言いたいかというと、「相手の我を満たしてあげる」ことをしたとしても、それは「相手の我がつよくなるだけ」ということです。

 

そして、「我が強くなった結果、こちら側の我を認めないようになります」

なので、相手に合わせて動くだけでは、結局は組みあがらないゲームをすすめることになるでしょう。

 

 

では、どうやって攻略していくか難しいですよね。

それを解剖して解説していきます。

 

「喜哀楽」ではなく「喜【怒】哀楽」で成り立つストーリー

 

つまり、嫌われないために、自分を出さないということは、あいての喜怒哀楽の【怒】の部分を意識しすぎることで、逆に相手を「怒らせる」という結果が抽出されて浮かび上がってきます。

 

それだけではなく自分の世界観、意思を伝えないことには、「都合がいいから」という理由でしか相手の中であなたは位置づけとして置かないでしょう。

 

つまり、【我が強いくせに嫌われることにびびっている】こと自体が「負のゲーム」を自分でしているということです。

 

なので、愛を持った【我】と【世界観】【価値観】を【怒らせてもいいから伝える】ことが本当に大事だとおもいます。

 

もう一度言います。

 

愛を持った【我】と【世界観】【価値観】を【怒らせてもいいから伝える】ことが本当に大事です。

 

そして、これは基本的に「嫌われること」「気に障ること」から【好き】が浮かび上がってくる感覚がするはずです。 そして意外にもその【好き】は薄れることがありません。

 

どうして旦那、奥さん、彼氏、彼女、クライアントの愚痴をこぼすくせに離れないんだろう?とか思ったことがありました。

 

逆に「こういうところが好き」とか【惚気】を喋っている人ほどうまくいっていないのはどうしてだろう?と考えたこともありました。

 

このあたりの心理的な回答は、こういう感じなのではないかなとおもいます。

 

嫌われる要素から始まる行動

 

嫌われるということは、「こいつまだこのあたりのしょぼい心理のところで悪あがきしているんだな」と思うことからほとんど生まれてくるはずです。

 

他には、たとえばブスがもててたとしたら「ブスのくせにモテやがって」と、ブスが嫌われるわけですが、それを反転させると「なんで私はあの人よりかわいいのに男性運が悪いんだろう」と思っているから怒るということです。

 

その怒りによって、その人は新しい情報を引っ張って行動していくわけですから、結局は「怒りの感情」をくれた人のおかげで闘争心を燃やして動けているのです。

 

そしてきらわれている人間は観察され続けるのです。

 

つまり、嫌われたもののほうがリードしていて優勢だと僕は最近おもいます。

 

だとしたら、

 

愛を持った【我】と【世界観】【価値観】を【怒らせてもいいから伝える】ことをしない理由がないはずです。

 

「相手にとってはいつもと違う日」それはあなたが自分を出す以外ないかもしれません。

 

なんでも相手に合わせようとしていること自体が、相手の限界値を広げることを阻止することになるので、Sなこころもしっかりもって接してみてください。

気持ちいい人間関係になるはずです。

そしてほとんどの人は「我が強くて、人に嫌われたくなくて、でも相手に我を出されるといやだけど、誰かに気持ちいい道へリードしてほしい」

というかなりむりゃぶりで実現不可能であり、自己中なことを思いながら必死に生きています。笑

 

だったら、自分の中で、この道がいい!とおもう道があるのであれば、嫌われることなんて無視して愛の持った我をどんどん伝えていき、共感してくれる人を見せたい景気までつれていってあげるだけでいいのではないでしょうか・・・・

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ABOUTこの記事をかいた人

shokama

【事業】ウェブ関連・マーケティング 【生い立ち】 1987年4月生まれ。 鹿児島県育ち、現在東京都在住 なぜか引っ越し経験が特に豊富です。 鹿児島(霧島市)→熊本1箇所(夜間大学)→(大学編入)→千葉2箇所→(就職)→福岡3箇所→(転勤)→東京1箇所→(脱サラ)→千葉1箇所→東京5箇所目→石川県金沢市2018年8月~(現在合計15回目) 【仕事】 大学卒業後に大手建設、設備設計担当 2013年~ (Tfas使ってました) 2年後脱サラ(2015年7月) インターネット関連の事業を開始 2015年~